Junの徒然

思いのままに綴るブログ

プロジェクトはQCDだけじゃない

プロジェクトは品質、お金、スケジュールが大事って言われてると思うが、他にも大事なものは腐るほどある。

 

結局のところ、2億くらい(100〜200人月くらい)までのプロジェクトは一人マネジメントのプロがいるとなんとかなるんだよね。

そのプロの単価は高いけど、無限に膨らむ赤字を止めるんだから安いと思うくらいじゃないと成功はない。

 

まあ、あまりプロがプロジェクトマネージャーをすることが少ないので失敗するんだけど。

 

ほんと、安かろう悪かろうの世界がそこにある。高かろう悪かろうもあるけど(笑)

 

プロジェクト管理の仕組み作ったり、立て直したりばっかりしていると、だいたい失敗するのは本当の意味でのプロジェクトマネージャーがいないパターン。

 

QCDとか細かいこと以前にプロジェクトマネージャーのプロをちゃんと頭に据えること。

 

まずこれ大事。

 

無性に満たされないエネルギー

満たされないエネルギーを発散したいからなのか、最近、ブログにいろんなことを吐き出している。まあ、吐き出したものは使い回しの効くネタになるように意識はしているものの、それにしては整理もしないままどんどん書いている。

 

思いついたネタを書き始めたら、文章が止まらなくなる。

 

きっと、ストレスが溜まっている。

 

仕事?給料上がった。

私生活?彼女できた。

 

何が不満なんだっけ。

 

自分が満足行く領域がどんどん遠ざかっている気がする。

 

新卒くらいの自分に今の仕事や私生活の客観的事実を伝えたら驚愕するだろうし、満たされて仕方ないかもしれない。でも今の自分は何かが違う。

 

 

たぶん、たぶんだけど

きっと褒められて嬉しい人に褒められたい

きっと大切にしたい人に好かれたい

きっと一緒にいたい人と一緒にいたいと思われたい

それだけなんだよね

 

きっと

たぶん

その修正今必要か?

パワポで修正中に、まっすぐにならない線を直したり、四角の位置をちょこちょこ直すやつ、あれ今必要か?

 

直したくなるのわかる、わかるよ。

考えがまとまらないうちに作りはじめちゃったってことが。

イメージがついてないままパワポいじり始めちゃったことが。

 

どうせ後から直すなら最後に1回だけにする。

パワポは書くこと、描くもの、構成、伝えたいメッセージが明確になってから使いはじめる。

 

それまでは無印の四コマノートで手書きで頑張れ。

先手を取る

都度資料を作っていたり、資料を自ら作らない人は後手に回ってるんじゃないだろうか?

 

言われたことだけを粛々と遂行し、当たり障りなく、文句も愚痴も言わず、質問もせず、指摘に対応し、ただ従っている。

 

それで無理難題を押し付けられて身体か心が壊れなければいい。何も言うことはない。

 

でも、大概どっか壊れてないですかね。

 

胃が痛いです。

胃に穴が開きました。

何もやる気が出ません。

誰も助けてくれません。

隠れて精神薬や睡眠薬を飲んでます。

我慢するのも仕事のうちです。

自分だけが逃げるのは無理です。

 

そうなる前にあなたは先手を取ったのか?

そう聞いてみたい。

 

管理者は指示者ではない。

仕事がうまく回っていればそれでいい。

うまく回っていることがわかりやすく情報として入ってくればいい。報告しやすければそれでいい。細かいことなんてどうでもいい。

 

自ら資料を作り、自ら動く。

管理者を巻き込み、判断を仰ぎ

動いたことで大きな問題を都度つぶしていく。

重要な問題が何かを暗に管理者へ示し、解決している状況を伝えるんだ。

 

管理者から言われたことをするのではない。

自らが動きたいように管理者に動いてもらうんだ。

 

管理者は敵ではない。

問題はどこにでも起こる。

それを解決したいのは管理者も同じなのだから

先手で問題を報告し、即相談する。

連絡はこまめにとる。

 

先手を取ると自分でスケジューリングができるから定時で普通に帰れる。

 

自ら資料を作り、自ら先手で動くこと、それが最も効率がいい。

資料なんて適当でいい

ちょっとした調整のとき、資料をベースに話ができると調整しやすい。

ただ、その資料、なるべく時間をかけない適当なものでいい。

 

使い回される可能性の低い資料に時間をかけてはならない。

 

資料があるかないかが重要なのだ。

 

ぱっと思いつく範囲で文字や適当な図を入れ、すぐに作る。思いつかない箇所は明確になってない箇所だから考えても仕方がない。

 

そこをはっきりさせるための調整に使うんだ。

 

資料を作らず、調整できればよい場合もある。しかし、資料を作ってそれに基づいて調整すれば、その資料を更新したものをメールで共有し、言った言わないの無駄時間を避けられる。

 

あえて資料を作ることも時には大事なのだ。

ただ、そんな用途で使うワンチャン資料なんて適当でいい。

なるべく資料を作る

最近、遠隔で音声会議やテレビ会議をすることも増えた。

 

皆、対面のときと同じように会議に参加するが、非常にわかりづらい。

 

表情、雰囲気、間、目線

 

そういうものを感じづらいからだ。

 

何かを決める会議なら、何を決めなければならないのか、何が課題でどんな解決策が考えられるのか、そもそもの前提は?背景は?目的は?

それらがはっきり示された資料を作り共有しなければならない。

 

何かの仕組みについて検討するなら、図の入った資料が有効に働く。

 

使いまわせるものは会議でも使う。

その会議でしか使わない資料なんてないから、会議で決まった内容を記す資料の元になるものを会議で使う。そうすれば会議で使い、会議中の議論を記したものを議事録として使い、修正したものを完成版として使える。

 

音声会議やテレビ会議をする場合にはなるべく資料を作り、全員が共通認識を持った状態を作り出さねば、何かを決める会議はうまくいかない。

なるべく資料は作らない

資料はなるべく作らないのがよい。

作ってる時間がもったいないからではない。

 

何度も使われる資料をしっかり作れ

 

ということだ。

 

場当たり的な求められた範囲の資料を作り続けるから業務に追われている場合、何度も使える資料が1つあれば、資料を作るのは1回でいい。微修正で済むような使い回しの効く資料作成が重要なのだ。

 

洋服と同じ。

TPOに合わせて、その都度新しい服を買うか?

買わないでしょ。

使い回すんでしょ。

 

資料も一緒。

使い回しやすいものを作っておき、組み合わせればいいのだ。

 

どんな資料が求められ、どんな資料が使い回されやすいのかは環境によるだろうけど

 

何も知らない人用に説明する全体像、隠れた前提や背景目的を明記したわかりやすい資料は必ず2回以上使われる。

 

さらに、複雑な業務なら業務の流れを見える化した資料もだし、システムなら関連しているシステムもわかるような概要図なんかも腐るほど使い回される。

 

あなたが今、都度資料を作っているとしたら、それは最悪だ。無駄が多い。後手に回っているのだろう。

 

なるべく資料は作らないことを意識する。

どうしたら資料を作らなくてよいか常に考えるんだ。

 

作るならシンプルなものを時間をかけてしっかり作ろう。